また夢に好きな人が出てきた。
夢の中でずっと探していて、まあ会えないよな~と思ってたらバッタリ出くわして、ああどうしよう何か声掛けなくちゃの『ちゃ』で目が覚めた。
実際は顔も朧げなのだが、夢で見たらすぐその人だとわかってしまい何だかしんどくなった。全然全然まだまだ好きだな。
同棲を止めてから、全ての現実感が無いまま生活が続いている。気力がなくなったかというとそういうわけでもない。
別会社に出向したり、家を2軒買ったり彼氏作ったりと色々やってはいる。ただ、あまり現実味がない。
クリア後ゲームのエンドコンテンツをやっているのに近い。大体ラスボスが近くなると、世界がやばくなって何とかクリアしなきゃという焦燥感に駆られるものであるが、クリアすると途端にどうでもよくなったりする。
ラスボスより遥かに強い隠しボスに挑んだり、最強武器を手に入れる楽しみはそれはそれであるのだが『ま、いつでも止められるしな。とはいえ一応やり込んどくか』という感じである。
一通りのことはやったので、もう何もかもどうでもいいといえばどうでもいい。
でも、本当に好きな人と出会って付き合う事にだけは焦燥感がある。そろそろ時間がない(いや、もう半ば過ぎてしまっているのかもしれない)という現実、仮に付き合ってもどうせ何れは別れるのになぜ執着してしまうのかという己への呆れがある。
以前読書会でノンケは出会いの絶対数が遥かに多くて羨ましい旨の話をした所我々もゲイバー・アプリがある分寧ろ出会いやすいような旨の反論というか場の空気になったが、全く納得できていない。
根本的にストレートは日常生活において恋愛関係になれる可能性が相当程度にあるわけだし、『日常』というものは自己研鑽により相当程度出会う人種を絞ることができ、(大企業入れば同僚は皆最低程度の容姿・学力があるわけだし、医学科入れば勝手に医師の友達が大なり小なりできるだろう)少なくとも自分が好みだと感じる人が多く出現する狩場を構築できる筈。
それに加えてマッチングアプリを開けば、有象無象かもしれないが同年代だけでも数万程度の候補が出てくるわけである。そこから何とかかんとか選べばいいだろう。
一方我々はどうかというと根本的にマイノリティであるからして日常の出会いは期待できず、さりはさりとてアプリは言わずもがな。
その中から好みを更にフィルタして会えたとして、相手も自分のことを気に入って関係が長く続く、なんて現実的じゃなさすぎる。せめてバイに生まれたかったな。
だいぶ脱線した気がするが、結局本当の恋愛がしたいという卑俗な話である。本当の恋愛って何だろう。
もう死にたいのかもしれない。割とやり切って満足したのでいつ死んでもいい気がする。でも死にたくはない。
生きていたいし、自分の存在で周囲の幸福値が上がるといいと思う。